daemonfreaks.com

トロンのこと

posted by jun-g at Sat, 19 Mar 2011 22:29 JST

2003年8月初め、トロンはうちにやってきた。まだ生まれたばかりで、片手の掌に乗るぐらい小さかった。実際は当時の彼女の家で飼っていて、留守の時にうちであずかったりしながら一緒に面倒を見ていた。

飼い始めて1ヶ月ほどでパスツレラに感染していることが発覚し、まったくご飯を食べなくなって日々痩せ細って弱っていく一方という状態になった。その頃自分は既に社会人で働いていて忙しかったのでまったく看病できず、学生で時間がある程度融通できた彼女が毎日のように病院に連れて行き、自宅で点滴・強制給餌し、献身的に介護していた。その甲斐あって、トロンは1ヶ月後にはすっかり元気になり、その後スクスクと成長していった。

その後、2006年に彼女と結婚してトロンと一緒に暮らすことになった。だっこ嫌いなくせに鼻筋を撫でられるのが大好きで、ケージから出すとこちらを無視してひと走りまわって、ひとしきり遊んで飽きてきたらこちらに近寄ってきて「なでろ」みたいな顔をして手を頭に乗せようとしたりする仕草を良くしていた。パッチリとした目と、その目をさらに大きく見せるくっきりとしたアイライン、白く艷やかな毛並みが雑種のくせにやたらと気品を漂わせてて、少し偉そうな態度とあわせてとても高飛車な女性みたいに思えておかしく、でも鼻筋をなでるとご機嫌になるところがとても愛らしかった。

大人になってからもたまに食欲を無くす事があった。その都度病院に連れていき検査をしてみたがこれといった原因は見つからなかった為、いつも自宅で強制給餌を行い食欲を取り戻して事無きを得ていた。

しかし去年の10月にいつもより酷い状態になった。食欲がなくなり、強制給餌で餌を食べさせが、まったく排便しない。排便しないから食欲が出ず自分でご飯を食べない。お腹はパンパンに膨れ上がり、強制給餌をやるのも辛い状態になった。病院に連れていったが「開腹してもいいが高齢なので術後の経過で死ぬ可能性が高い」と言われてしまい、手術は諦め、とにかく排便することを祈って強制給餌を続けるしかなかった。最悪、腸が破裂して死んでしまうかもしれない。最悪の事態を想像し、会社帰りの車の中で泣いたりした。

自分でご飯を食べなくなってから5日後の朝、溜りに溜まった糞尿を一気に出して元気になったトロンの姿があった。ケージは酷い有様になっていたけど、すごく嬉しかった。その後数日感は自分で排泄のコントロールがうまくできなくなっていて、逆立ちしながらおしっこしたりと変な行動を取ったりしていたけど、1〜2週間後にはすっかり元どおりになり、ご飯も自分で食べるようになった。ホッとしたが、トロンは高齢でいつまたこういう状態になってもおかしくないし、死んでしまう可能性もある、ということを強く意識するようになった。

それから5ヶ月、何度か食欲不振になる事はあったが、都度早めに強制給餌を行い、すぐに食欲を取り戻しながら過ごしてきた。だから今回も、また強制給餌ですぐ元気になると思っていた。しかし、一昨日の夜に強制給餌してから寝て、昨日の朝また強制給餌しようと思って起きてトロンを見ると、いつもと様子が違った。フラフラしていて動く気力もなさそうだった。それでも、と強制給餌を始めてみるも、口にいれた流動食を全く食べようとしない。今までならどんなに食欲が無くても口に入れたら必ずモグモグと食べてくれたのに。結局、いつもの量の半分も食べさせられず、ひとまず会社に行くしかなかった。

昼前にかみさんから「トロンが心配なので会社を早退して帰る」とメールが入った。そして1時間後ぐらいにかみさんから泣きながら電話がかかってきた。自分は仕事が忙しかったこともあり「できるだけ早く帰る」とだけ伝え、電話を切った。結局、家に帰ったのは日付が変わる手前ぐらいの時間になった。15時間ぶりぐらいに会ったトロンは、冷たく固くなっていたが、なんだかくつろいだような姿で寝そべっていた。

今日、正修寺別院「縁の里」というところでトロンの葬儀をしてきた。なんだか立派なお葬式で少し可笑しかった。最後のお別れで、棺の中で相変わらずくつろいだような姿で寝そべっているトロンをしばらく撫でて、少しだけ泣いた。

葬儀が終わって、自宅に帰ってきてリビングでソファに座ってテレビを観ていた。テレビの横にはトロンのケージが置いてあり、いつもの癖でそちらをチラリと見るが、当然そこにトロンの姿はなく、猛烈に寂しくなった。多分この週末の間にケージは片付けてしまうと思うが、今後もリビングでソファに座ってテレビを見る度に、ケージが置かれていた場所をチラリと見ては、トロンの事を思い出して寂しく感じるのだと思う。